長野県といえば、周囲を山に囲まれた海のない県だ。そんな長野県の特産品を見ていると、「信州サーモン」という魚が出てくる。
サーモンといえば、北海道やノルウェー、チリなど海と結びついたイメージが強い。
なぜ海のない長野県でサーモンが名産になっているのか不思議に思って調べてみると、長野県はもともとマス類の養殖が盛んな地域だった。
信州サーモンも、海から運んできたサケを長野で育てているわけではない。
長野県水産試験場がニジマスとブラウントラウトを掛け合わせ、約10年かけて開発した長野県独自の養殖魚だ。
今回は、信州サーモンとはどんな魚なのか、なぜ海なし県の長野でサーモンが名産になったのかを、生産の歴史まで含めて調べた。
信州サーモンとは?
信州サーモンは、長野県水産試験場が開発した養殖専用の魚だ。ニジマスのメスとブラウントラウトのオスを交配して作られている。
1994年に開発が始まり、約10年間の研究を経て2004年に新しい養殖品種として水産庁から承認された。
2024年には承認から20周年を迎えている。
| 項目 | 信州サーモン |
|---|---|
| 親 | ニジマス×ブラウントラウト |
| 開発 | 長野県水産試験場 |
| 開発開始 | 1994年 |
| 水産庁の承認 | 2004年 |
| 飼育環境 | 淡水 |
| 特徴 | 銀色の体、紅色の身、繁殖能力を持たない |
| 出荷まで | 約2〜3年 |
| 出荷サイズ | おおむね2〜3kg |
名前だけを見るとサケの一種のように感じるが、「信州サーモン」という魚種が自然界にもともと存在していたわけではない。
ニジマスとブラウントラウトはどちらもサケ科の魚で、信州サーモンは両者を掛け合わせて作られた長野県独自のブランド魚になる。
開発中はまだ名前がなく、ニジマスの四倍体とブラウントラウトを掛け合わせた魚ということで「ニジニジブラ」と呼ばれていたという。
銀色の体と紅色の身がサーモンを思わせることから、最終的に信州サーモンと名付けられた。
海のない長野県で、なぜサーモン養殖が盛んになった?

長野県に海がないことを考えると、魚の養殖とはあまり結びつかない。
ただ、海がないから水産業が発達しなかったわけではなかった。
長野県では山から流れる河川や湧水を利用した内水面養殖が古くから行われ、特にニジマスの生産が盛んだった。
長野県水産試験場によると、かつて長野県はニジマス生産量日本一の県だった。
県の資料でも、マス類の生産量は1978年に4,691トンまで増え、その後は減少したものの、2022年にも1,190トンで全国1位となっている。
海で魚を獲ることはできなくても、山に囲まれた長野県には冷たい淡水が豊富にある。
ニジマスなどのマス類は冷たい水を好む。北アルプスなどから供給される雪解け水や湧水を利用できる環境は、マス類を育てるにはむしろ大きな強みになった。
長野県水産試験場がある安曇野も、豊富な湧水で知られる地域だ。
海なし県という一見すると水産業に不利な条件だけでなく、「冷たく安定した淡水がある」という別の条件を見ると、長野でマス類の養殖が発達した理由が見えてくる。
信州サーモンはニジマス養殖の苦境から生まれた
長野県でマス類を生産できるからといって、それだけで信州サーモンが生まれたわけではない。
もともと県内で養殖されていたニジマスは、100〜120gほどの塩焼きサイズが中心だった。
しかし食生活が変化し、海水魚や輸入魚も増えるなかで、従来型の淡水魚の需要は徐々に低下していった。
一方で、刺身や寿司など生で魚を食べる需要は増えていた。
そこで長野県水産試験場では、小型のニジマスを塩焼き用として販売するだけでなく、刺身や切り身にも使える大型魚を作る研究を進めた。
1988年には大型化できる三倍体ニジマスを実用化したが、同じようなニジマスは全国でも生産されており、長野県ならではの特徴を出しにくかった。
大型魚は飼育期間が長くなるため、魚病による影響を受けやすいという問題もあった。
そこで、新しい大型魚の開発に使われたのがブラウントラウトだった。
ニジマスが持つ肉質などの特徴に、ブラウントラウトの特徴を組み合わせた独自の養殖魚を作る。
1994年から交配試験が始まり、約10年をかけて完成したのが信州サーモンだった。
現在ではご当地グルメとして知られているが、開発の背景を見ると、単に観光客向けの名物を作ったわけではない。
従来のニジマス需要が落ちるなかで、長野県の養殖業をどう維持していくか。
そのために、刺身にも使える大型魚という新しい需要を作ろうとしたことが出発点になっている。
ニジマスとブラウントラウトを掛け合わせるだけでは作れない

信州サーモンは、普通のニジマスとブラウントラウトを単純に交配すれば生まれる魚ではない。
長野県水産試験場では、染色体を4組持つ四倍体ニジマスのメスとブラウントラウトのオスを掛け合わせることで、染色体を3組持つ三倍体の信州サーモンを作っている。
この信州サーモンは繁殖能力を持たない。
魚は成熟すると卵や精子を作るためにエネルギーを使い、種類によっては成熟に伴って肉質も変化する。
信州サーモンは成熟による影響を受けにくいため、年間を通じて品質を安定させやすいという特徴がある。
また、養殖場から外へ出た場合でも自然界で繁殖しない。
染色体の話だけ聞くと遺伝子組換えの魚なのかと思ったが、信州サーモンは遺伝子組換えではない。
別の生物の遺伝子を組み込むのではなく、ニジマスとブラウントラウトが持つ染色体の組数を利用した技術になる。
信州サーモンはどれくらい生産されている?
信州サーモンは研究段階の珍しい魚ではなく、すでに長野県を代表するブランド魚の一つとして定着している。
長野県農政部の資料によると、2023年度の食用魚出荷量は332トン。
稚魚は42万8,000尾が出荷され、39の養殖業者が生産に関わっていた。
食用魚出荷量は2015年度が345トン、2019年度には425トンまで増加した。
その後は新型コロナウイルス感染症の影響などで減少したが、2022年度には412トンまで回復している。
2024年度には、長野県水産試験場から過去最多となる44万尾余りの稚魚が生産者へ供給された。
天然のサケが川へ戻ってきて漁獲される北海道などとは、もちろん産地としての成り立ちが違う。
それでも、海のない県が独自のサケ科魚類を開発し、数十の養殖業者が数百トン規模で生産するところまで育てたと考えると、「長野県はサーモンの産地」という表現もそれほど不思議ではなくなる。
信州サーモンの味と旬は?

信州サーモンは、サーモンを思わせる紅色の身と、肉厚できめ細かな肉質が特徴とされている。
ニジマスのような淡水魚ではあるが、大型に育てて刺身や寿司として利用することを想定して開発された魚だ。
県内では刺身や寿司のほか、カルパッチョ、焼き物などにも使われている。
天然魚の場合は、産卵や回遊などによって脂の乗りや肉質が変わるため、旬が重要になる。
一方、信州サーモンは養殖魚で、繁殖能力を持たず、成熟による肉質の変化が起こりにくい。
そのため「この数週間だけが旬」という魚ではなく、年間を通して安定した品質で出荷できること自体が特徴になる。
長野県はサーモンの「漁獲地」ではなく「養殖産地」
信州サーモンを調べるときに、一つ分けて考えておきたいのが「サケが獲れる地域」と「サーモンを養殖する地域」の違いだ。
長野県では海面漁業ができないので、北海道のように天然のサケを大量に漁獲する産地ではない。
信州サーモンも海を回遊して長野県の川へ戻ってくる魚ではなく、人の手で作られた養殖専用のブランド魚だ。
一方で、水産物の産地は必ずしも海沿いだけに成立するわけではない。
冷たい淡水、水産試験場による品種開発、それまで蓄積してきたマス類の養殖技術。
この3つを組み合わせることで、長野県は海がなくても独自のサーモン産地を作ってきた。
「海がないのにサーモン」という違和感は、逆に長野県が持つ水産業の特徴そのものだった。
調べて思ったこと
信州サーモンという名前は以前から聞いたことがあったが、最初は最近増えている陸上養殖サーモンの一つくらいに考えていた。
実際に調べてみると、背景には長野県で何十年も続いてきたニジマス養殖があり、その産業が厳しくなったことをきっかけに新しい魚まで開発していた。
特に印象が変わったのは、「海なし県だから魚には不利」という見方だった。確かに海はないが、マス類にとって重要なのは海だけではなく、冷たく安定した淡水でもある。
海がない長野県が、その土地にある水と養殖技術を使って独自のブランド魚を作った。信州サーモンは、単なる長野グルメというより、地域の条件に合わせて水産業を作った事例として見る方が面白い魚だと思っ

